★このGWを利用して福島県と宮城県の被災地を視察に行ってきました。
これまでは新聞やテレビで報道されている情報のみでこの東日本大震災を理解するだけだったので、自分自身の目で見てみる必要があるのでは、とずっと思っていました。このGWは自分の目で見る格好のチャンスでした。
●まずは車の中でも寝れるようにハイエースのロングをレンタカーして寝袋を積んで朝10時半に名古屋を出発。1日目は福島市腰浜町に住む友人宅を目指しました。
東名高速に入ったら、まだ何キロも進まないうちから渋滞。
とにかく静岡を抜けるまで大渋滞。
福島市の友人宅に着いたのは11PMちょっと前。
約12時間かかったことになる。
途中でトイレ休憩は何回かしたものの、もうちょっとでエコノミー症候群になるところだったかも?
それにしても同行した秘書の島袋君はもっと大変だったと思います。初めから終わりまでずーっと運転して行ってくれたので、彼には本当に感謝です。
お疲れ様でした〜。
I really appreciate his toughness and patience!
私の友人宅は地震では食器棚などが倒れて食器が割れてしまったくらいで被害はそれほどでもなかったようでしたが、彼女のお母さんの家がほとんど崩壊してしまったそう。
今回の震災で家がなくなってしまった方々もたくさんいるわけですが、みなさん、それぞれの思い出の品々が土の中に葬り去られてしまったことになります。
このように災害によって思い出の品は写真も含めて一瞬のうちに消え去ってしまいます。だから自分の大切な思い出というのは『モノ』に依存するのではなく、しっかりと心に焼き付けて記憶にとどめておく必要があるんだな、と改めて感じました。
記憶の中の思い出はどんな災害に見舞われても生きている限り奪い取られることはないのだから。。。
ところで福島市の街並みは見た限りでは、地震で崩れた家などはほとんど見られませんでしたが、一番の問題は原発の放射能の問題。
これは目に見えないだけに深刻な問題。
原子力発電所から20km半径は立ち入り禁止で、住民は避難所の生活を強いられているわけですが、そこに住んでいた人たちはもしかしたらもう二度と今まで住んでいた家には戻れないんじゃないかと思う。放射能を浴びながらなんてこれから先、どう考えても暮らせないでしょう・・・。
●2日目は福島県相馬市にある避難所を3カ所訪問しました。
❶市総合福祉センター(はまなす館)
373人滞在。
支援物資は豊富。
昼間だったのでみなさん何処かへ行かれた方も多く、閑散としてました。
インターネットが接続されたコンピュータ2台設置。
無料でどこにでもかけれる電話2台設置。
食べ物、衣類などの支援物資が山積みにされていました。
❷向陽中学校
102人滞在。
支援物資は豊富。
自衛隊が最近お風呂を設置したようで、お風呂に困っている周辺の住民の方々も入浴しにやって来ると言っていました。
❸スポーツアリーナそうま
117人滞在。
支援物資は豊富。
ここの施設では地元のボランディアで活動していらっしゃるリーダーMr. Wさんがとても印象的。
たくさんのお話を聞かせてくれました。
Mr. Wさんは衛生面にもかなりの気配りをしながら、お年寄り、他のボランティアスタッフの寝泊まりなどにも十分に気を使い頑張っていました。避難所の立ち上げの時から一生懸命やってきて1ヶ月くらいのところに自民党の谷垣さんご一行が視察にやって来たそうです。その時に谷垣さんご一行は土足で体育館に入って行こうとしていたので、Mr. Wさんがスリッパを履くようにお願いをしたら、その言い方が横柄だったということで、Mr.Wさんは次の日この避難所のリーダーを市からの要請で降ろされてしまったそうです。でも実際に彼がいないと回って行かないので、また数日後に市の職員からこの施設の切り盛りを頼まれたそうです。Mr.Wさんはご自分の家も倒壊してしまい大変な状況の中、必死に他の被災者さんたちのために頑張っているのに、それを自民党のおえらいさんたちに対する口の利き方が悪い!ということだけで降ろされてしまい、また後になって施設を運営がスムーズに行かないからやっぱりやってくれ、、、という市の態度にかなりご立腹の様子でした。
でも温かいハートを持ち、責任感も強いMr.Wさんとしては、ここまでやってきて放り出すのもつらいし、やらないわけにいかない!
そんなこんなで、また施設の運営を引き受けたということでした。
避難所の運営には彼のような熱いリーダーが必要不可欠です。
これからの地域社会の運営は、いかにすばらしいリーダーと一緒にみんなで協力し合える体制を取れるかにかかっていると実感しました。
(蛇足ですが、谷垣さんご一行は2〜3分間体育館を見て回ってすぐに帰ったそうです。)
この3つの避難所を見た限りでは、支援物資は豊富で余っているくらいでした。
近くのスーパーの商品の陳列台にはぎっしりと食料品を始め生活必需品が並んでいました。
災害が起きた直後は物資の調達は必要不可欠でしたが、2ヶ月経った今、私たち被災をしていない側が支援していくべきものはただ単に食料、衣服などの『モノ』ではなく、これからの住居であったり、生活、仕事そのものだと痛感しました。
原子力発電所近くの避難所で生活しているほとんどの人たちは、漁師か海産物に関わる仕事をしている人たちだということなので、汚染された土地と海で何ができるというのでしょう。もし彼らが今までの家に戻れないのであれば他の土地で漁師として働くことは可能なのか?
漁師以外だったら何ができるのか?
その他、漁師ではない職業の方もたくさんいると思いますが、その方々はこれからどんな仕事ができ得るのか?被災者の方々の『仕事』をまず第一に考えながら『住居』の支援をしていくことが最も大きな課題であるということは間違いないと思いました。
この日の夜、仙台市の繁華街、国分町付近を歩いてみましたが、たくさんの若者でアーケードがにぎわってました。飲み会、カラオケ、お食事会。。。みんなものすごく明るくて楽しそうでした。
そう言えばこんな光景は名古屋にはないですよね。
名古屋は震災でも何でもないのに夜は殆ど誰も歩いてない。
仙台に負けてる。。。
もちろん、夜に人が歩いてる、歩いてないで勝ち負けはないですが、名古屋ももっと活気のある街になって欲しいなぁって感じてしまった、ただそれだけのこと。
アーケードには【仙台、がんばれ!】という看板が並んでいたけれど、名古屋には【名古屋こそ、がんばれ~!】っていう看板が必要かも、、、ってふと思ってしまいました。
もし名古屋も仙台のように夜も楽しく歩ける街になったら経済が2倍活性化するのは間違いないです。
それから印象的だったのは、アーケードで黒のスーツと蝶ネクタイで正装した若者たちの合唱団が一生懸命、そして楽しそうに歌を歌っていたこと。まさしくすばらしいストリートパフォーマンス!
彼らに聞いてみたら、東北地方の各大学の学生達が集まって合唱団のサークルをやっていて、仙台駅のアーケードでよくライブをやっているのだという。こういう活動はどんどんやって欲しいと思います。
愛知、名古屋もストリートで音楽を始め色々なパフォーマンスを気軽に楽しめる街になればいいなって思います。ぜひそんな愛知、名古屋になるように私も働きかけて行きたいと思ってますので、賛同してくださる方はぜひぜひ、ご協力お願いいたします。
●さて、3日目は朝早くから出発。
せっかくの宮城県なのだから日本三景のひとつである『松島』へ行ってみることに。
今回の震災で崩壊しているかと思いきや、見た目では何ともなっていませんでした。
観光も復活し、遊覧船も出航していました。
年間370万人の観光客が訪れるというこの松島が崩壊されていなくて本当に良かったです。
この後、松島を少し東へ上がって行った『陸前大塚』という街を過ぎて2キロほどさらに東へ進んだところで景色が急変。
辺りは瓦礫の山!
たった2キロでこんなにも運命が分かれてしまうとは。。。
この地区の中でも全倒壊の家もあれば、見た目ではどこも壊れた様子はなく美しいチューリップが満開のお庭がある家があったりと、明暗が完全に分かれてしまっていました。
でもこればっかりは、どうしようもない。
両親をなくしてしまい路頭に迷う子どもたち。
愛する子どもを失った母親。
今まで連れ添ったパートナーを奪われひとり取り残されたご高齢者。
この瓦礫の中には数えきれない人生の悲しみと苦しみが埋まっている。
私は涙が止まらなかった。
自然はやさしい。
自然は偉大。
自然は希望。
自然は恐怖。
自然はわがまま。
私たちは自然の中で生かされている。
・・・ただそれだけ。
。。。帰りは日帰り入浴ができる松島温泉『壮観』に立ち寄ってから高速に乗りました。(最近営業を再開したみたいで、お風呂場のガラスはまだ割れたままでそれをガムテープで修正してあっただけ。露天風呂は使用中止になっていました。日帰り入浴料は500円でとってもおトクでした。でも少しでも地元の復興に協力できたかな?
。。。それにしても温泉はホント気持ち良かった〜!
長旅で疲れた体をす〜っと癒してくれました。
ありがとう^^/松島温泉さん!)
さてこの後の高速道路はやはり『超』がつく『渋滞!』
ずーっとノロノロ。
名古屋に帰り着いたのは夜中の3時半。
松島から13時間半かかったことになります。
このGWには13万人のボランティアの人達が被災地に駆けつけたというニュースを聞きましたが、このGWに集中してしまったのは残念。
せっかく現地に行ってもボランティアの人が多すぎて何もできずに帰った人もたくさんいたみたいです。
ボランティアの人を統括してまとめるしくみをしっかり作って、無駄のないボランティア活動ができるようにしていくことも早急な課題だと感じました。
...今回の被災地の視察は道中にまるまる24時間以上かかってしまったので実際に現地で過ごせたのは2日足らずでしたが、被災地の色々な側面を見ることができて有意義でした。
この視察で気づいたことをこれからの県政でしっかりと生かして行きたいと思っています。
東ゆうこ
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